Archive for month: 1月, 2014

一人っ子と長男・長女

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「長男の甚六」とは、総領息子をあざけって言う どちらかといえば「お人よし」の「ぼんやり」者といったマイナスイメージの慣用語でした。一方、「一人っ子」はわがままで協調性が乏しくなり易いとされていますが、一人っ子で長男・長女となると、恐ろしい世の中になってしまいます。
ところで、「甚六」は本当にどうしようもない「ぼんやり」者なのでしょうか。「お人よし」は本当に悪いことなのでしょうか。
伝統的には、長子には弟や妹の面倒をみる役割が家庭内で与えられてきました。ですから、小さい子どもの世話をすることが得意となったのでしょう。学校の先生、保育園の保育士、医師・看護師など、小さい子、病人などの面倒をみる仕事に就く方も多く、天職と思えるレベルの高い成果を上げることができます。
一人っ子は弟や妹の面倒をみる機会がなく、家庭内では「面倒をみられる」役割が中心となります。適切な仕方で面倒をみてもらえた子どもは、大きくなると自分に対応してくれた仕方で他の人の面倒をみるようになります。ですから、不適切な仕方で対処された子どもは、大きくなって不適切な仕方で他の人の面倒をみてしまうといった危険も生じ易くなるようです。

「苦手」の意識化

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大相撲での取り組みでも通常の位や実力を越えて得意・苦手といった相性の問題が取沙汰されることがあります。
個人的経験ではありますが、30歳前後の若いカウンセラーの時代に自分より年長でしかるべき肩書きのついているクライエントに対して苦手意識が強くありました。心理的圧迫を感じたのです。これではカウンセラーの役目を果たすことは不可能です。30代の中盤となり、自分の肩書きも「助教授」とついた時点で、ようやく年長の男性のクライエントは得意となってきました。
70歳を過ぎても苦手とするクライエントが残ってしまいました。それは中年の「不定愁訴」婦人です。当初は年長女性への抵抗によるものではないかと感じていました。しかし、同年代になっても苦手感は克服されませんでした。
ついに年代的にはカウンセラーとしての自分が年長となり、苦手感を克服できるのではないかと期待していました。しかし、駄目でした。この種の苦手感となると、もっと深い原因がその底にマグマとして屯しているのかもしれません。本態を明らかにしたとき、すなわち意識化できたときに本物のカウンセラーになれるのかもしれません。

「性格」は変わる、変えることが出来るのか?

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人柄とか、個性とか言われるものは、概ね「性格」「人格」と言われるものに近いでしょう。源となっているのは、親から遺伝として伝わってきた「気質」とか「体質」というものなのです。生まれて育っていくところで、親・兄弟・姉妹など周囲の人とのかかわりで「性格」は出来上がっていきます。
親が厳しいと叱られないための方略をとるようになるでしょう。親に合った態度や行動をとったり、しっかりと状況を確かめてから行動するなどの癖が身につきます。これは、一般的には「内向的」と言います。一方、親が放りっぱなしでとやかく口出ししないと、伸び伸びとしっかり確かめずに動く癖が身につきます。これは、「外向的」と言います。
以上は遺伝から、幼児期のしつけ(基本傾向)から作られてくるものです。
その後も立場、役割を継続することにより更に身につけたり、変容したりする習慣的人柄があります。それらはもっともらしい顔付きをしているから「先生風」、「役人風」、腰が低くて愛想がよいから「商人風」、「営業マン風」といった習慣的人柄が身につきます。そして、一人の人間がサラリーマン・夫・父親・登山家など、何種類かの役割を演じています。その役割に応じた言動が必要でしょう。
「性格」は役割・習慣的人柄の方はどちらかといえば変化しやすい。気質や基本傾向は変わらないと一般に言われています。こうした総合的な人柄を「パーソナリティ」と心理学では表しています。

自閉症の特徴

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世の中には話すことができない人も状況によっては話せなくなる人もいます。
少々前のことになりますが、私のかかわっていたお子さんに知的遅れをもつ自閉症(養護学校高等部)の男の子がいました。ある日、その親御さんから電話があり、「うちの子が警察に捕まって大変なのです」というのです。聞くと、線路に石ころを置いたという「列車往来妨害罪」ということでした。踏切りに石ころを置いたところをたまたま巡回していたお巡りさんに目撃され、そのまま警察署の取調べ室に連れて行かれ、厳しい訊問を受けたとのことです。
彼は状況を理解することが難しく、新奇な緊張場面に置かれるとパニックを起こし、奇妙な行動をとることがあるのです。でもそれは自閉症の特徴でもあります。
体格は大人並みでも問いかけに対応した発言はまったくなく、その上に「空笑い」や「奇声」を発するため、ついには取調官が怒り出したそうです。
警察官に「発達障害について勉強しなさい」とは言いませんが、世の中には色々な方がいるのですから、まず身分証明書などから学校や家庭に連絡すべきだったのではないでしょうか。
厳しい訊問を開始する前に彼のカバンにある身分証明書から学校や家庭に連絡しなかったことは一市民として理解できない―と抗議しました。

「サヨナラ」が「ラァ~」

発達に問題のあるお子さんで、「サヨナラ」と声をかけると「ラァ~」と手を振りながら大声で反応する方がいらっしゃいます。
サ・ヨ・ナ・ラという発声は「ヨ」がベロ(舌)が下に抑え込まれますが、「サ」「ナ」「ラ」は3つとも口蓋(口の天井部分)に接触して発する声なのです。それぞれが接触の仕方が異なっているので、出てくる音に違いがでるのです。
 「サヨナラ」と発声するには、ベロの運動は並大抵ではありません。上に行って、下におりて、上に2往復するという運動神経の活発な働きがなければ、発声できないのです。
 ベロの運動神経が鈍くてスムーズに動かないとか、ベロが緊張しやすくて自由に動かないといった問題があれば、「サヨナラ」と発声できません。
 1回だけの往復なら何とかなる場合は、一発勝負で「ラァ~」と発音し、あとは手を振りながらニコニコ笑顔で補充することになります。楽しい別れ、「また明日」でよいのではないでしょうか。
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「落ちこぼれ」にならないために

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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幼児の時期に「落ち着きがない」とか、「乱暴だ」などの理由で園から診察を受けるようにすすめられるお子さんがいらっしゃいます。
お医者さんは「多動症」「自閉」「広汎性発達障害」などの診断を下すことがよくあります。たとえば園での生活や指導の効果で改善され、集団に参加できるようになります。そしてこのお子さんが小学校に入学するにあたって、行動面でもお勉強の面(ひらがなが読める・書ける・数の操作可能など)でも何も問題がないとされます。音読したり、字を書いたり、足し算・引き算もこなし、同級生との交流はスムーズでない点を除いていい子で学校生活を送ることができます。ところが、1年生も後半となるところで国語などでの文理解困難・算数などでの文章題の処理不能が生じ、いわゆる最初の典型的な「落ちこぼれ」が出現します。入学時に、できれば幼児期に将来のつまずきを予測することができれば、前もって特訓(先取り援助)によって「落ちこぼれ」を予防することができます。専門家とは、「予測して」「特訓する」ことができる人のことを言うのです。