Archive for category: 所長のつぶやき

自閉症の特徴

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世の中には話すことができない人も状況によっては話せなくなる人もいます。
少々前のことになりますが、私のかかわっていたお子さんに知的遅れをもつ自閉症(養護学校高等部)の男の子がいました。ある日、その親御さんから電話があり、「うちの子が警察に捕まって大変なのです」というのです。聞くと、線路に石ころを置いたという「列車往来妨害罪」ということでした。踏切りに石ころを置いたところをたまたま巡回していたお巡りさんに目撃され、そのまま警察署の取調べ室に連れて行かれ、厳しい訊問を受けたとのことです。
彼は状況を理解することが難しく、新奇な緊張場面に置かれるとパニックを起こし、奇妙な行動をとることがあるのです。でもそれは自閉症の特徴でもあります。
体格は大人並みでも問いかけに対応した発言はまったくなく、その上に「空笑い」や「奇声」を発するため、ついには取調官が怒り出したそうです。
警察官に「発達障害について勉強しなさい」とは言いませんが、世の中には色々な方がいるのですから、まず身分証明書などから学校や家庭に連絡すべきだったのではないでしょうか。
厳しい訊問を開始する前に彼のカバンにある身分証明書から学校や家庭に連絡しなかったことは一市民として理解できない―と抗議しました。

「サヨナラ」が「ラァ~」

発達に問題のあるお子さんで、「サヨナラ」と声をかけると「ラァ~」と手を振りながら大声で反応する方がいらっしゃいます。
サ・ヨ・ナ・ラという発声は「ヨ」がベロ(舌)が下に抑え込まれますが、「サ」「ナ」「ラ」は3つとも口蓋(口の天井部分)に接触して発する声なのです。それぞれが接触の仕方が異なっているので、出てくる音に違いがでるのです。
 「サヨナラ」と発声するには、ベロの運動は並大抵ではありません。上に行って、下におりて、上に2往復するという運動神経の活発な働きがなければ、発声できないのです。
 ベロの運動神経が鈍くてスムーズに動かないとか、ベロが緊張しやすくて自由に動かないといった問題があれば、「サヨナラ」と発声できません。
 1回だけの往復なら何とかなる場合は、一発勝負で「ラァ~」と発音し、あとは手を振りながらニコニコ笑顔で補充することになります。楽しい別れ、「また明日」でよいのではないでしょうか。
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「落ちこぼれ」にならないために

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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幼児の時期に「落ち着きがない」とか、「乱暴だ」などの理由で園から診察を受けるようにすすめられるお子さんがいらっしゃいます。
お医者さんは「多動症」「自閉」「広汎性発達障害」などの診断を下すことがよくあります。たとえば園での生活や指導の効果で改善され、集団に参加できるようになります。そしてこのお子さんが小学校に入学するにあたって、行動面でもお勉強の面(ひらがなが読める・書ける・数の操作可能など)でも何も問題がないとされます。音読したり、字を書いたり、足し算・引き算もこなし、同級生との交流はスムーズでない点を除いていい子で学校生活を送ることができます。ところが、1年生も後半となるところで国語などでの文理解困難・算数などでの文章題の処理不能が生じ、いわゆる最初の典型的な「落ちこぼれ」が出現します。入学時に、できれば幼児期に将来のつまずきを予測することができれば、前もって特訓(先取り援助)によって「落ちこぼれ」を予防することができます。専門家とは、「予測して」「特訓する」ことができる人のことを言うのです。

大晦日にあたり

『カウンセリング』が一般に口にされるようになって60~70年と経過してきました。
カウンセリングというと、「全面的な受容」によって相談にいらした方の「自発的な解決力を甦(よみがえ)らせる」ものと信じられてきました。確かに、普通の悩みや進路の迷いなどには有効でした。しかし、カウンセリングの対象が「いじめ」「不登校」「落ちこぼれ」「発達障害」と拡大してくると、肯定も否定もしない「頷(うなずき)」だけではどうにもならず、「行動変容」「環境変容」が積極的に取り入れられるようになりました。
自律訓練(リラクゼーション)、行動療法(オペラント法)、そして親御さんへの合理的なコンサルテーションなど、いろいろな方法が開拓されてきました。
お子さんの抱えている個別的な問題を解決するためにはどのようなアプローチが適切か、研究所では的確なアセスメントに基づくアドバイスを行っております。来年もよろしくお願いいたします。

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「お世辞・おべっか」と「褒める」こと

こどもの「躾 しつけ」には、「叱る」と「褒める」をうまく使い分けることが必要と言われています。指導・訓練でも同じことが言えます。しっかり「褒めることが大切ですよ」と親御さんにアドバイスすることがよくあります。ところが中には「子どもにお世辞なんか・・・」と難色を示す方がいらっしゃいます。そんなときは、「褒める」から「真心 まごころ」を引き算すると「お世辞」になることを説明することにしています。
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『自閉症』とは?

「自閉症」というのは「閉じこもっている」のでしょうか?

文字通りに見れば「自ら」「自分の殻の中に」「閉じこもっている」ことになるでしょう。しかし、50年以上も「自閉症」の方々を応援してきた経験からすると、初めの頃はいわゆる専門家と言われる人(たとえば精神科医)でさえも「こんなに走り回って元気な子は自閉症ではない」と広言していました。

「コミュニケーション(ことばでも表情・動作でも)がとりにくい、人との関係が作れないという方の中で、その症状が重篤(おもい)であるかどうかを判断しなければなりません。
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緘黙とは

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「緘黙(かんもく)」というのは、全く口を利かないか、または利けないことを言います。先日、専門機関で「場面緘黙」と診断を受けた小学生のお子さんを連れて、ご両親が相談にみえました。「選択(場面)緘黙」というのは、家では普通におしゃべりができるのに幼稚園や学校では口を利けないことです。間違われやすいケースは、他児との交流が乏しいことで集団の場面で引っ込み思案で口が利けないことがあります。これらのケースは、集団に慣れてくれば自然に口が利けるようになります。一方、「選択緘黙」は、同じ保育園でほぼ同じ集団にいて3年間に一言も話さなかった方がいましたが、家では自由におしゃべりしていたのです。
相談にみえた小学生は、予定された発表はきちんとできるし、国語の時間に指名されればしっかりと音読できるとのことでしたので、仲間との会話を援助していけば引っ込み思案は解決するでしょう とアドバイスしました。結局、「場面緘黙」は誤診ということになります。

発達障害は病気なの?

「発達障害者支援法」には「脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」が発達障害である と定められています。
本来、「病気」というのは「どこが」「どのように傷があるとか炎症を起こしているか」「その結果としてどんな症状が生じるか」がはっきりしていなければなりません。「発達障害」ははっきりしない原因によって生じた「行動」によって決める病気ということになります。
だから、普通の意味での「病気」とは違います。ほとんどすべての「発達障害」は、「手術をする」とか「薬を処方する」といった手を使えません。しかし、「行動」が普通以上に過剰であったり、「音」などの刺激に普通以上に過敏であったりするために、平均的な一般の人々に困ったもんだと感じさせることになります。
彼らの特徴をしっかりととらえて、環境の方を変えてみると、問題とされている「行動」が個性として輝いてくるのです。機械的であるにせよ、強烈な記憶力をどう生かすか。几帳面すぎるほどの几帳面さをどう生かすか。この考え方は「病気」ととらえるのではなく、「特性」「個性」としてとらえる考え方といえるでしょう。
不肖私は、「自閉」は「個性」と考えて相談を受けてきましたし、これからもその考え方を続けるでしょう。

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お父さんが非協力的な家庭が多いって本当?

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ご両親がまず、「発達障害」があるとされるお子さんの行動を正しく捉えることが肝要です。
お母さんは、講演会に出席したり相談機関で指導を受けたりして、お子さんの行動を理解し、対応の仕方を勉強しておられることが多いようです。お父さんはどうでしょうか。多くのご家庭ではお父さんは逃げ腰で、「お母さんに任せる」と回避していることが多いようです。
家庭やそして社会を変えることは並大抵の仕事ではありません。現実に直面することを家族全員が覚悟してのぞまなければなりません。
たとえば、お母さんが「心」「行動」を担当し、お父さんが「体」「あそび」を担当するなど、それぞれが何を分担すればどんな変化・メリットがあるのか、専門家にアドバイスを受けることも一つの方法と言えるでしょう。

問題の「ある」「なし」の見分け方

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「発達障害」のある方の示す個性的な行動は、ときに一般の人には理解を越えるものもあります。それらが問題行動(症状)なのか、そうでないのかを見分ける方法はあるのでしょうか。
これは当人の問題ではなく、親や先生など、周囲の人が決めつけることであることに注意しましょう。最大公約数的な枠の中に当てはめようと周囲の方々はするものです。そこからはみ出すことがイコール”問題が「ある」”と決めつけてしまうのです。
もっとも良い解決法は、環境を変えて、個性的な行動に適合するようにしてしまうことです。しかし、ものには限界もあり、そう勝手に動かすことができないことも事実です。だから、部分的に修正して個性をつぶすことなく社会・集団参加ができるように応援することが大切なのです。